支援に“正解”はあるのか?
現場にいると、ふと「これでいいのだろうか?」と自分に問いかける瞬間があります。
子どもたちの反応が悪いと、ものすごく不安になりますね。
昨日はうまくいった声かけが、今日はうまく響かない。ある子には通じた方法が、別の子にはむしろ負担になることもあります。立場や時代が変われば、「よい」とされる方法も変化していきます。
こう考えると、支援に「唯一の正解」を見つけることは難しいと感じます。
迷いの背景
なぜ私たちは「迷う」のでしょうか。
迷いは単なる優柔不断ではなく、いくつかの要因が重なって生まれています。
- 先を見通せない
支援は「これをすれば必ずこうなる」と分かる世界ではありません。子どもの成長は直線的ではなく、時間がかかることも多い。その見通しの少なさが「これでいいのか」という迷いを生みます。
- 選択肢が複数ある
声をかけるか、待つか、活動を変えるか…。どの選択肢にも良さとリスクがあり、答えが一つに決められない状況が迷いを生みます。
- 責任を感じる
子どもや家族の生活に関わる以上、「間違えたくない」という思いが自然と迷いを深めます。
自ら迷える人?
実は「迷いを自覚できる人」はそう多くないのかもしれません。
決められたやり方をそのまま実行する方が楽なこともありますし、自分のやり方を疑わず突き進むこともできます。
けれど、迷うことは「子どもをよく見て、自分の頭で考えようとしている証拠」です。
子どもの様子に敏感だからこそ、「これでよかったのかな」と立ち止まれるのです。
むしろ迷いを持てる人の方が、支援においては柔らかく、子どもに寄り添えるのではないでしょうか。
それでも正解を求めてしまう
とはいえ、迷いの中で私たちは“正解”を探してしまいがちです。
- 確証が欲しくて安心したい…
「このやり方で大丈夫」と確証があれば、不安は一気に和らぎますね。
- 責任の重さ…
子どもの未来に係わる以上、間違えたくないという気持ちは自然ですよ。
- 周囲の目や評価…
保護者や同僚の前で「誰が見ても正しい」と言える方法に頼りたい気持ち。
こうした気持ちはとても人間的で、自然な感情です。
迷うこと自体が自然
大事なのは、「正解がないからこそ迷うのは当然だ」と受けとめることだと感じています。
迷いを抱きながら、「この子にはどうだろう」と考え続ける姿勢こそが支援の土台になります。
いろんな人とお話しして感じることは、「支援が上手だな」と思う人ほど、悩みや迷いを多く抱えているということです。
正解はないけれど
私たちは迷い、確かめ合いながら子どもと向き合います。
では、迷ったその瞬間に私たちがとるとっさの判断は、果たして「場当たり」なのでしょうか?
それとも、支援の本質につながる大切なものなのでしょうか?
次回は、この「即興の対応」に目を向けてみます。
コラムについて
日々の活動の中で出会った出来事や心に残った一言、小さな気づきを綴っていきます。それぞれの立場にとっての学びやヒントになれば嬉しく思います。
著者プロフィール
こどもサポート はるかぜ 代表
保護者や子どもたちと日々向き合いながら、運営や経営の立場からも支援のあり方を考えてきました。これまで、人に話すのもためらうような失敗もあれば、思わず飛び上がるような成功も経験してきました。
そうしたリアルな瞬間や運営の中で見えてくる課題を、できるだけ等身大の言葉でお届けしていきます。
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