整えすぎない工夫

環境を整えることの大切さは、支援の基本中の基本です。

道具や動線を分かりやすく整えることで、子どもは安心して活動に入っていけます。

けれど、整えすぎることで“人の関わり”が見えなくなってしまうことがある――

私は現場の中で、そのことを何度も実感してきました。

完璧な準備が、かえって動きを狭める

以前、製作活動のときに「全員が同じ材料・同じ道具をそろえよう」と意気込んだことがありました。

ハサミ、のり、クレヨン――すべて人数分。机の上もきれいに整列。

見た目には完璧でした。

でも、始まってみると、どこか静まり返っているのです。

子どもたちは手元の道具だけを見つめ、黙々と作業していました。

「自分の分がある」ことで安心はあっても、会話や関わりは生まれませんでした。

それからしばらくして、別の日にハサミの数が足りず、どうしても“全員分”そろわないことがありました。

「今日は順番に使おうね」と声をかけて始めたその時間が、思いがけずにぎやかで、温かいものになったのです。

「次、貸して!」

「じゃあこれ終わったらどうぞ」

「ありがとう!」

順番を待ちながら会話が生まれ、道具を譲るたびに笑い声が広がりました。

そのやりとりを見ていて、私はふと気づきました。

――整っていないほうが、関係が育つこともあるんだ、と。

“足りなさ”がつくる関わり

支援の現場では「トラブルを防ぐために整える」という発想が自然です。

けれど、整えすぎると“すれ違う機会”まで減ってしまう。

余白がなければ、子ども同士のやりとりが生まれにくくなります。

道具が足りないときこそ、譲り合う・待つ・伝える――そんな社会的スキルを練習できる時間になるのです。

そしてそれは、何よりもリアルな学びの場。

順番を待つあいだの小さな会話、譲る瞬間のやりとりにこそ、「関わる力」が息づいていると感じます。

ある日、スタッフが「もっとスムーズに回るようにしよう」と、ハサミを追加購入してくれました。

けれど、私はあえて数を戻しました。

それは効率のためではなく、“やりとりのきっかけ”を残したかったからです。

一見不便なようで、そこには確かな価値があると思うのです。

整えることと、整えすぎないこと

整えることは“優しさ”でもあります。

でも、整えすぎないことは“信頼”です。

「この子たちは自分たちでやりとりできる」と信じる気持ちが、関係づくりの第一歩になる。

たとえば、材料を全部出さずに一部だけ置いておく。

完成形を見せすぎず、少し想像の余地を残しておく。

そんな小さな工夫だけで、子どもたちの表情が変わります。

「どうしようか?」「これでもいい?」と考え、話し合い、試行錯誤する時間が生まれる。

整いすぎた環境では得られない“主体的な関わり”が、そこにはあります。

“余白”が育てる力

整った環境は安心をくれます。

でも、ほんの少しの余白が、子どもを伸ばします。

完璧ではない場面にこそ、考える力・待つ力・伝える力が育つ。

支援を続ける中で思うのです。

私たちは「整える力」と同じくらい、「整えすぎない勇気」を持たなければいけないのだと。

少し足りないくらいが、ちょうどいい。

そこに人のぬくもりがあり、学びがあり、笑いがあります。

子どもたちにとって、環境は“守るための枠”であると同時に、“広がるための土台”です。

その土台を固めすぎず、ほどよく余白を残すこと。

整えることと、整えすぎないこと――

その間に、支援の本当の豊かさがあるのだと思います。


コラムについて

日々の活動の中で出会った出来事や心に残った一言、小さな気づきを綴っていきます。それぞれの立場にとっての学びやヒントになれば嬉しく思います。

著者プロフィール

こどもサポート はるかぜ 代表 
保護者や子どもたちと日々向き合いながら、運営や経営の立場からも支援のあり方を考えてきました。これまで、人に話すのもためらうような失敗もあれば、思わず飛び上がるような成功も経験してきました。
そうしたリアルな瞬間や運営の中で見えてくる課題を、できるだけ等身大の言葉でお届けしていきます。
👉代表あいさつを読む