言葉にならない支援 ― 感覚の共有をどう残すか
「うまく説明できないけれど、大切だと思う瞬間」がある。
記録にも言葉にもなりきらない“感覚”の支援。
それをどう共有し、次につなぐか。
伝えられない「感じ」をどう残すか
支援の現場には、言葉では伝えきれない空気があります。
子どもの表情のわずかな変化、活動の途中でふっと生まれる静けさ、スタッフ同士の目線の合図。
それらは記録には残りにくいけれど、確かに支援の「質」を形づくっています。
たとえば、工作の時間。
スタッフが声をかけずに隣で同じ素材を触っているだけで、子どもが安心して作業に戻る。
その“間”にある感覚は、分析ではなく「感じ取る」ことでしか理解できません。
写真・描写・比喩という記録のかたち
こうした感覚を残すために、私はあえて“言葉以外”の記録も試みます。
・写真に「場の温度」を残す
・描写で「空気の柔らかさ」を再現する
・比喩で「その瞬間の意味」を伝える
「空気がふわっと和らいだ」「声のトーンが春風みたいだった」
そんな言葉は、客観的ではないけれど、支援者の“感覚の記憶”をチームに伝える力を持ちます。
感覚を共有するということ
感覚を共有するとは、ただ「同じように感じて」と求めることではありません。
自分がその場で感じたことを正直に差し出し、他者の感覚と重ねていくことです。
あるスタッフが「この瞬間、安心してたよね」と言う。
別のスタッフが「私は少し緊張を感じた」と返す。
その違いの中に、支援をより豊かにする視点があります。
感覚は主観的ですが、共有することで「見えない支援」がチームの中で立ち上がってくるのです。
言葉を超えて残す文化へ
私たちは支援を記録しようとすると、つい「正確さ」や「再現性」を優先してしまいます。
けれど、それだけでは伝わらない“支援の呼吸”があります。
匂いや光、沈黙の手前にあるまなざし――。
言葉にならない部分にこそ、支援の深さが宿っているのかもしれません。
それをどう残し、どう受け渡すか。
感覚を記録しようとする試みは、支援を“生きたもの”として語り継ぐ営みでもあります。
感じたことを、残してみよう
・「なんだか良かった」その“なんだか”を逃さない
・比喩でもいい、「春みたいな午後」と書き留めてみる
・チームの記録に「感じたこと欄」を一行だけ添える
言葉にできない支援を、無理に整えずそのまま残す。
それがやがて、チームで共有できる「支援の記憶」になっていくのだと思います。
コラムについて
日々の活動の中で出会った出来事や心に残った一言、小さな気づきを綴っていきます。それぞれの立場にとっての学びやヒントになれば嬉しく思います。
著者プロフィール
こどもサポート はるかぜ 代表
保護者や子どもたちと日々向き合いながら、運営や経営の立場からも支援のあり方を考えてきました。これまで、人に話すのもためらうような失敗もあれば、思わず飛び上がるような成功も経験してきました。
そうしたリアルな瞬間や運営の中で見えてくる課題を、できるだけ等身大の言葉でお届けしていきます。
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