やめてみる支援 ― あえて省くから見えてくる子どもの力
支援の理想は「いずれフェードアウトしていくこと」だと思います。
どんどん自分でやれるようになると、自然と物理的なサポートは減っていく。子育てと同じですね。
子どもが自分の力で動けるようになったら、大人は一歩引いて見守る。
それはきっと目標であり、そしてまた次のステージがみえてくる。
同時に、私たちは「関わり」も大事にしています。
なぜなら、関わりの中でこそ子どもは安心し、挑戦し、学んでいくからです。
細かい指示がもたらすもの
たとえば集団での活動。
「ここに並んで」「手はここに置いて」「次はこの順番で」と細かく指示をすれば、確かにスムーズに進みます。
これは支援のスタンダードで学ぶ“分かりやすさの工夫”そのものです。
けれど実際の現場では、そのまま応用するというより、子どもたちに合わせて“昇華”させていくイメージに近いと感じます。
ときには細かい指示をあえて省き、子ども同士で相談したり、自分で工夫したりする余白を残す。
余白を残すと見えてくるもの
もちろん、必要な子には手厚い支援や細かいサポートが欠かせません。
けれど、私たちの強みは年齢層の幅が広いことにあります。
小さな子の動きを見て上の子が声をかけたり、大きな子の姿に刺激を受けて下の子が真似たり――。
同じ年齢だけを固めないからこそ、自然な“比較”や“学び合い”が生まれていくのです。
多様性と大げさにうたわれていますが、むしろ当たり前の関わり合いですよね。
フェードアウトしながら残るもの
意識したいのは「集団でもフェードアウト」していくこと。
指示を減らし、あえて決めないで見守ってみる。
余白を残すと、子どもたちのやりとりや工夫が自然に立ち上がってきます。
「じゃんけんで決めよう」
「先にどうぞ」
そんな一言のやりとりが、集団の空気をやわらかくしていきます。
大人が声をかけすぎなかったからこそ、子ども同士の関わりが芽生える。
やめてみたときに見えてくるのは、そんな姿です。
それって理想でしょ?
経験豊富な方はこう思うかもしれません。
実はここに至るまで、私自身かなり時間を要しました。
なぜならずっと「分かりやすい工夫が足りない」と思い込んでいたからです。
専門的な手法を学んでも、浮かんでくるのは「並び方」「ルールの提示」といった細かい指示ばかり。
規律よく行動できること。
ピッと集まって、ピッと動いて、ルールを守る。
それこそが支援の成果だと考えていたのです。
けれど現実は違いました。
思い切って「全部を受け入れてみよう」と構えた時期もありましたが、ふざけ合いや揶揄、集団拒否まで容認してしまい、保護者からクレームにつながったこともあります。
「規律」ではなく「関わり」へ
そこから少しずつ見えてきたのは、全部の関わりをよしとするのではなく、大きな指示だけを残すことでした。
「前や後ろの友達が困っていたら助けてね」
「気持ちよくなれるように並んでみよう」
「どうしたら全員が楽しめるかな?」
時には具体例を添えながら、余白を残す問いかけをする。
それが“やめる支援”であり、フェードアウトする支援のかたちでもあるのだと思います。
“やめてみる”が映し出すもの
フェードアウトすることは、ただ消えていくことではありません。
子どもたちが自分で動ける土台を整え、関わりの余白を残すこと。
そしてその余白で生まれたやりとりを、一緒に味わうこと。
“やめてみる支援”の先に広がるのは、大人が与えた形ではなく、子ども自身の関係性と力です。
それを信じて見守れることこそ、支援者の大きな役割なのだと思います。
コラムについて
日々の活動の中で出会った出来事や心に残った一言、小さな気づきを綴っていきます。それぞれの立場にとっての学びやヒントになれば嬉しく思います。
著者プロフィール
こどもサポート はるかぜ 代表
保護者や子どもたちと日々向き合いながら、運営や経営の立場からも支援のあり方を考えてきました。これまで、人に話すのもためらうような失敗もあれば、思わず飛び上がるような成功も経験してきました。
そうしたリアルな瞬間や運営の中で見えてくる課題を、できるだけ等身大の言葉でお届けしていきます。
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