共有のむずかしさと面白さ ― 同じ言葉でも見えている景色は違う
「伝えた」と「伝わった」は違う。
支援の現場でも、同じ言葉を使っているのに、相手の中ではまったく別の景色が広がっていることがあります。
それでも・・・ずれや誤解の中にこそ学びがある。
今回は、そんな“共有”の奥深さについて考えてみたいと思います。
共有は「すり合わせ」ではなく「出会い」
会議や記録の共有というと、「同じ認識にそろえる」ことが目的のように思われがちです。
けれど、経験も立場も異なる私たちが、完全に同じ景色を見ることはほとんどありません。
むしろ、「同じ言葉を使っても、見ている世界は違う」と気づくこと。
その気づきこそが、共有の第一歩なのだと思います。
「ずれをなくす」よりも、「どんなずれがあるのか」を知ること。
それが、私たちの支援を深めていく土台になると考えています。
ずれの中に、学びがある
たとえば「落ち着いていたね」という一言でも、人によって捉え方が違います。
ある人は「行動が安定していた」と言い、別の人は「表情が柔らかかった」と感じる。
どちらも間違いではありません。
むしろその“違い”を持ち寄ることで、子どもの姿をより多面的に見られるようになります。
共有の場は、答え合わせの時間ではなく、視点を交わし合う時間。
一人では見落としていたことが、他の誰かの言葉で立ち上がる――そんな瞬間が、支援を豊かにしてくれます。
見えていなかった景色に出会う
「Aさん、あのあと○○って言ってたよ」
そんな一言から、活動の意味がまったく違って見えることがあります。
自分が見ていたのは、風景のほんの一部だったのかもしれない。
そう気づけたとき、共有は「情報の交換」から「視点の発見」に変わります。
誰かの記録や言葉を通して、自分の支援を新しく見直す。
その繰り返しが、チーム全体のまなざしを少しずつ育てていくのだと思います。
共有は、関係を育てる営み
共有の目的は「同じになること」ではありません。
「違いを通して、つながること」。
だからこそ、そこには面白さがあります。
すれ違いも、誤解も、学びのきっかけ。
伝えたつもり、聞いたつもり・・・そんな“つもり”の中にこそ、支援を深めるヒントが隠れています。
同じ言葉を交わしながら、見えている景色の違いを語り合う。
その時間こそが、私たちをチームとして育てていくのだと思います。
コラムについて
日々の活動の中で出会った出来事や心に残った一言、小さな気づきを綴っていきます。それぞれの立場にとっての学びやヒントになれば嬉しく思います。
著者プロフィール
こどもサポート はるかぜ 代表
保護者や子どもたちと日々向き合いながら、運営や経営の立場からも支援のあり方を考えてきました。これまで、人に話すのもためらうような失敗もあれば、思わず飛び上がるような成功も経験してきました。
そうしたリアルな瞬間や運営の中で見えてくる課題を、できるだけ等身大の言葉でお届けしていきます。
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